人が違うのが個性?

驚いている


おとといの絵「コンブ」についてだ
もう絶賛のコメントでコメント欄が埋まるかと思ってた


スカウター見たら100以上のユニークアクセスがあったにもかかわらずだ
これはもう感性が違うとしかいいようがない


感性が違うのはいいことなんだろうか
いい意味でとらえれば「独創的」とかそういう言葉なんだろうか


だが感性が違いすぎると誰にも認めてもらえない
こればっかりはしょうがない



よくあるじゃないですか、作品を発表して何年後かに評価されるってやつ
そういう感じかな
いい絵ですよね「コンブ」


感じ方は人それぞれです
毎日電車に乗る人もいるでしょう
電車なんて飽き飽きかもしれない
でも、それをホームで写真やビデオに撮る人もいるんだ


車に乗る人だってただの移動用かと思いきや人によっては車が命な人もいるんだし
人それぞれ。


てか、なんで男って車好きとか言われる生物なの?
意味わかんない
免許もってなくても車詳しいとかいるよね
なんでだろ。本気でわからん


しかもあれでしょ、たまに車好き=大人的な考えの人とかいるでしょ
まいっちゃうよねw
知ってる車を羅列していく
オデッセイ、ノート、ヴィッツ、マーチ、セルシオGT-R、MOVE、ポルテ、ノア
よし、全部だ
男が車好きとかは大きな勘違いだ
実物見たって車種なんかわかんねーよ
興味がないもの。無関心。


そのくらい人それぞれ


あとはやっぱり、先入観
やっぱり日本人にはあれが落書きとかに見えてしまうんだろうか


落書きじゃない。造形美術としてとらえてほしいな。
じゃあ、何を造形しているのか
それは見る人が自分の感性で感じることです
あの絵を見て何を感じたか、どういう気持ちになったか
もちろん多くの人はあの絵を見て幸せになっただろうし、優雅に舞うコンブが頭の中に浮かんだとは思う
そして人によってはコンブの喜だったりやコンブの切なさ、愛しさ、心強さなんかを感じると思う
私はあえて題を「コンブ」とした
「コンブの○○」などではなくあえて「コンブ」
それは何を造形しているのかを感じ取ってほしかったから
題を書くと皆それを感じようとして見る
それじゃ意味がない
私は感じ取ってほしい。私の意図なんかではない
あの絵を感じ取ってほしい


絵って言うのはうまいとかへたとかそういう次元のもんじゃない
うまくてわかりやすいのもあれば、うまいのかどかもわからないし意味がわからないけど名画とされているものもある
たとえ自分がわからなくとも名画といわれているのだから多くの人の支持をうけているわけだ


ああいう絵はやはり、ある程度の説明は必要なんだろうか
まぁそれをああいう形で表現できるからすごいんだろうけどね
ピカソとかってわからないとか言われてるのを子供のころとか聞いてたけど
まぁべつに説明とか見りゃわからなくもないよね
普通の絵だってあるし
ベロニカだっけ?ゲルニカかw
ああいうのも説明見てちゃんと見ればなんとなくだけど、わかる
たしかに とかそういう感じだけども
わかり易くするのなら、普通に人間かいて見る人にとって丁寧に書けばわかりやすいのは明白
じゃあ、どうしてああいう風に書いているの?というのは愚問なのかも
表現方法というか画家の感じ方かもしれないし
それが本当なのかすらわからなかったり
ムンク「叫び」はあの人間が叫んでいるとか叫んでないとか
私は叫んでないと思うけど


ベロニカってなんだっけ?と検索したら「伝説上の聖女」だった
ピカソの絵を間違えたけどその間違えたのが聖女ってところがやっぱりなんか感性みがいてるなーって思いますよね^^



最後にあえて断言しようかな。あの絵は海を越える
ルーブル美術館いくよ。きっとね
あるよ。フランスで「コンブ展」